高野山別格本山 一乗院
精進料理
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一乗院縁起
時 代
で き ご と
弘仁年間
(平安時代前期)
 善化上人により一乗院の開基。(古い記録は焼失し、詳細は不明)
1177年
(平安時代後期)
 中興憲覚大義房(当国熊野の人で姓は安宅氏)により再興される。
1387年
(南北朝時代)
 当院住職・持重僧正は法印職に就かれ、奥之院再営落慶法会の導師を厳修する。
 第十四世住職・清融良住房は、上杉家の重臣直江山城守の二男に生まれ、当院祐範僧正の弟子となって当院を継ぎ、(後に龍光院住職や宝亀院住職をも兼務)慈母の菩提の為に浄財を出して当院を再建する。再建時は大変壮大で華麗なものと伝えられる。また、清融良住房の母が寄進された三十三身観音像は、今なお寺宝として保管されている。
江戸時代
 寺格中通二十ヶ寺中、随一たる古跡名室と定められて、伊都郡かつらぎ町渋田、海草郡美里町字田、同松ヶ峯、同滝野川等の寺領三十五石を賜る。
1674年
(江戸時代)
 第十六世住職・賢浄房は、九条左大勝及び官女長橋局の帰依ことのほか厚く、九条家累代の位牌を建立されるにいたり、爾来九条家の菩提所として永代供養を怠りなく勤めることとなった。これは、同家の文書中の一乗院葉に「古えより格別の御由緒ある寺院で有るので今後住職が替わっても当家の武運長久の御祈祷を怠りなく勤められよ」という文面からも、うかがい知る事が出来る。
1684年
 霊元天皇並びに春宮御所より様々な宝物が下賜され、御祈祷札等を献上する。
1765年
 第二十九世住職・清範僧正が江戸へ下った折り、紀伊中納言大真公の願いに依り、孔雀明王の尊像を作って武運長久を祈願する。その紀伊家より累代位牌を納められ、種々の寄付物を頂戴する。
1767年
 九条入道殿より、自身の筆のよる梅に羊を描かれた軸を寄付せられ、一門の名を記して家内安全・子孫長久の御祈祷を祈願する。
1888年
(明治時代)
「明治の大火」の類焼に依り焼失するも、その後再建する。

一乗院縁起
佐伯公隆

一乗院 名誉住職 佐伯公隆

  • 大正14年11月17日生まれ
  • 平成9年2月22日 第497世寺務検校執行法印職を成満
  • 山内出仕諸役御免の前官職に昇進

佐伯公応

一乗院 住職 佐伯公応

  • 昭和32年3月15日生まれ
  • 平成5年より平成10年まで総本山金剛峯寺法会課長として奉職
  • 平成16年7月3日 高野山声明の会・東京サントリーホール声明公演「常楽会」総指揮
  • 特定非営利活動法人SAMGHA / 真言聲明の会 監事役
  • 平成26年8月より高野山真言宗耆宿宗会議員を拝命

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